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高木一行
毎朝、かなり遅い時刻、蝉たちの合唱が、突然、ひときわ高く、大きく、あたりを圧倒し、震わさんばかりとなる。
黒大理石の岩山の向こうから、まもなく太陽が顔をのぞかせることを、蝉たちは高らかに・誇らかに、あたり一帯に告げ知らせているのだ。
1日の最初の光を浴び受け、岩山の植物たちがぱあっと生命のきらめきを放って神々しく輝き始める。
・・・・・・・・・・・
かねてより説いてきた通り、ヒーリング・アーツは海に起源を持つ修法体系だ。
龍宮のわざ。
龍神とも非常に縁が深いらしく、龍神によって取り巻かれ、護られ、 導かれているかのごとくに感じることも、しょっちゅうだ。
龍神(水を動かすスピリット)への敬意を示すため、私たちはしばしば、海へと巡礼する。
わが身をエルニドの海に浮かべ、振るえ、波打ち、もぐり、また振るわせる。そうやってあれこれやっていくうちに、<海へのゆだね>が起こってくる。
古事記にいわゆる、伊弉諾尊の禊だ。
重さ、苦しさの感覚からどんどん解き放たれていく。
スーッと、「自分」が海の彼方にまで溶け広がって・・消えていく。その自分は、海の「上」ではなくて「中」にいる。
海に融ける・・・・・。これを体験したことがないシュノーケラーは、大変貴重なものを取り逃がしている。外側の海にばかり気を取られ、自分自身の内面にある海のことを忘れてしまってはダメだ。
シュノーケリングの極意は、外なる海と内なる海の調和にあり、だ。
南国の日差しを浴び、暖かい浅瀬でシュノーケル・セットをつけてぷかりぷかりと浮かびながら、背中に筋骨矯正術を受ける・・・なんていう、ヒーリング・アーティストなら垂涎モノの稽古も、たっぷり執り行なった。
水に浮いた状態で、筋骨矯正術のマジック・フィンガーで背中を抑えられると、諸君、息が強制的に吐かされ続け、ぶくぶくぶく・・・と沈んでいったぞ。
背中を両親指で柔らかく抑えられるだけで、どれだけたくさんの息が長々といつまでも吐き続けられるものか、美佳も私も、互いに交代して施術し合いながら、心底びっくりして、大いに笑った。
なるほど「効く」はずだと、改めて納得し感心した。
エルニド修法をひとつ。
<フォーミュラ>
背をまっすぐ立てよ。仰向けに寝ながら。
ひとかたまりのものと人体をみなすならまったく意味不明の上記フォーミュラも、ヒーリング・アーツ原理の1つである「粒子性」に着目すれば、俄然、物凄く面白くなってくる。
実際に床の上に仰向けに寝てみて、背中と床が触れ合っている場所を、あれこれ感じてみるといい。尻とかももの裏、肩、後頭部・・・なども、床と触れ合っているのがわかるだろう。
それらの、重さがかかっている(押し合っている)部分の感覚を元に、以下の霊的エクササイズを執り行なう。
まずは、仰向けに寝ている自分の胸と、片手でタッチしてそっと揺さぶってみる。
そういう時、普通は胸だけに注目してそれに揺さぶりをかけるものだが、そんな風にするやり方を一応試した上で、今度は背中と胸を同時に意識しながら、改めて執り行なってみる。「行なう」でなく「執り行なう」と私が書くのは、そういう言葉づかいの変更により「聖なるもの」との関わりが深まることを、体験的に学んできたからだ。
胸だけを揺さぶるのではなく、背中まで感じながら、そこに実際に働きかける。なで回すだけでも、あるいは充分かもしれない。
ナメクジがはい回るみたいに、ピタリと密着して隙間なく。
そのようにして、予備的に胸と背中を開いておいて、背中(床と触れ合っている部分)を触覚的に感じながら、いろいろ体を動かしてみる。
そして、要所要所で静止し、背中の各部分が床に対して垂直に当たっているかどうか、いくつかポイントを設け、あれこれサーチするようにしながら、「床に対して垂直」を探していく。
垂直に近づく(引力と調和する)と、面白いことに、その場所(背中そのもの)の意識/感覚が覚醒してくる。垂直であるべきところ(ナホビ)が、これまでとんでもない方向に傾いてしまっていたことが、ハッキリ認識できる。そういう不統一・不調和な仮想状態を、日本神話では「マガツヒ」と呼んでいる。まっすぐのものが傾いて曲がっているのに、それをまっすぐと認識している状態だ。
私は今、禊の本質について語っている。
上記のようにして、自由に床の上を転がったりしながら、ヒーリング・タッチの原理を、背中と床の触れ合いへと応用していく。そのようにするたびごとに、背中がひきのばされ、他とつながり、「そこそのもの」の感覚が甦ってくる。背中全体に明るく意識が灯り始める。
これは、背中だけでなく、体のあらゆる部分にも応用できる。
まずは、背中と胸をつなげ通すことだ。そうなれば、胸郭が柔らかく自在に・・・信じがたいほど自由に滑らかに、動くようになる。
そういう伸縮自在な胸郭こそ、感・動(感じて動くこと)のいしずえだ。
あなたはすでにお気づきだろうか? 感動している時には、胸郭が自然に拡張している。
・・・こういったことを、どこへ行っても、いつも楽しそうに私たちが、べたべた全身で触れ合いながら、やっているものだから、「ハネムーンか?」とあちこちできかれる。
明るく健康的でセクシーな巡礼があっても、「いいじゃないか」。
エルニド巡礼記の最後に、附録第2弾としてお届けするのは、『ヒーリング・アーティストのリゾート・ライフ』だ。
今回滞在したリゾートホテル及びその周辺では、どこへ行くにもカメラを決して手放さず、「ここぞ」と感じるシーンを写し撮ってきた。
オオトカゲの子供が庭を散歩しているような場所[ところ]だから、ヒーリング・フォトの題材には事欠かない。
リゾート・スピリットとでもいうべき、南島ヴァカンスの気(マナ)を、たっぷり楽しんでいただきたい。
観の目の次なる秘訣は、
<フォーミュラ>
レット・オフで見開くべし。
普通、人はオンによって、まぶたに力を入れて、目を見開こうとする。
そういうやり方では、上半身が実になりやすい。まぶたに力を入れると、上体を虚にできなくなる。これは、極めて損な体の使い方だ。
これを解消するためには、例えば、目を閉じておいて、その閉じることをレット・オフ。あるいは、いったん目を開けておいて、その開けた形は保ちつつ、力を入れて開けようとすることを強調→レット・オフする。
または、目尻と目頭に2本指でヒーリング・タッチし、2点の間を引き伸ばしておいて目を開けようとし(抵抗感が生じる)、目を開けようとしながら2点間の張りを少しずつレット・オフしていく。すると、まぶたにレット・オフ感覚が流れ込んでいく。レット・オフによって、まぶたが自然に開いていく。
焦って一気に効を得ようとせず、1手1手にじっくり取り組んでいくといい。
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毎日、夕日があたりの海を金色[こんじき]に染める頃、多くの人がカヤックで湾内へと漕ぎ出していった。
海辺で帰神撮影しながら、「金色[きんいろ]の海に直接浮かんでる感じがするんじゃないかな」と、美佳が隣でそっと口にしたが、その通りかもしれないと思う。この時間帯、海は魔術的な質を帯びて、強くこちらの心に迫り・訴えかけてくる。
作品23(美佳撮影)で、夕日をバックに映し出されている小鳥の影は、エルニドという地名の語源となった穴ツバメだ。
スコールの名残のしずくの1つ1つが、夕日を裡にはらんで、神秘の宝石のようにきらめく(03)。
エルニド巡礼記1の、明るい日差しの元では可憐で清楚だった胡蝶蘭が(09)、今や妖艶な毒婦の趣さえ湛えているではないか(22)。
そして、スライドショー最後の2舞は、毎日毎日ヒーリング・タッチしながらプールサイドのヤシを撮り続け、最終日、エルニドを去る間際、ついに「ヤシの精」とのコンタクトに成功した(と感じられた)際の作品。
南シナ海の風と楽しげに踊り舞う、ヤシのスピリット。
美しい、楽しい思い出は尽きない。
エルニド・・・海の楽園[シャングリラ]。
<2011.05.28 紅花栄>
※2011年度 海の巡礼シリーズ:関連リンク
◎Healing Photograph Gallery1『エルニド巡礼記 @フィリピン』/『パラオ巡礼:2011』/『ボルネオ巡礼:2011』
◎Healing Photograph Article『エルニド巡礼記・余話』
◎ヒーリング・ディスコース『レインボーズ・エンド パラオ巡礼:2011』/『ヒーリング随感3』第3回、第6回、第8回/『ヒーリング随感4』第21回
◎ヒーリング・ダイアリー『ヒーリング・ダイアリー4』